大正琴の歴史

大正琴はどうして作られたの?

大正琴は、その名の通り大正時代に発明された楽器です。

考案者は、名古屋市の大須(中区裏門前町)出身の森田五郎。
大正元年(1912年)に発明されました。

彼は、幼時から発明の才を発揮し、音楽好きでした。
当時の日本は、洋楽の輸入が本格化し「東西の音楽を折衷した新しい音楽の創造」を目標としていましたが、上流階級を中心に広まっただけで、一般庶民には縁遠い存在でした。
彼は、そのような状況でも幅広く楽器や音楽の世界に関心を示していました。
特に中国から導入された明笛の技術に優れ、世界行脚したそうです。この時の様々な体験、欧米諸国の音楽文化との接触が、大正琴の発明につながったようです。

彼は、日本の音楽教育が欧米諸国と比較してかなり遅れていると実感しました。
日本では家庭で音楽の復習をしようとしても三味線しかなく、ピアノやオルガンは高価すぎて普及していなかったので、進歩しないと感じていました。

世界行脚から帰国した彼は、すでに世の中で流行の兆しを見せ始めていた洋楽のメロディを、子供から年配者までの誰もが簡単に演奏でき、さらに学校での音楽教育と家庭音楽とを結びつけることのできるような親しみやすい楽器作りに取り組みました。
当時人気が高かった二弦琴を基本に、タイプライターのボタンにヒントを得て「大正琴」を発明したのです。

第1次大正琴ブームと衰退

森田が自信を持って発売したものの、見たこともない新しい楽器で演奏法がわからず人気は今一つでした。
そこで彼は、楽器店での店頭演奏を試み徐々に知られるようになって、人気は急上昇していきました。
大正琴の楽譜は数字譜で、五線譜が読めなくても簡単に洋楽の旋律を奏でることができるのが大きな魅力の一つでもありました。

このようにして始まった大正琴ブームは、国内だけに止まらず、韓国、中国などにも輸出されるようになり、製造が間に合わなくなり偽物が出回るほどになりました。
大正から昭和初期にかけてブームを巻き起こした大正琴ですが、昭和6年(1931年)の満州事変の頃から輸出に急速に陰りが見え始め、国内でも流行は下火になり、太平洋戦争の始まる頃には大正琴ブームはすっかり影をひそめてしまいました。

大正琴の復活

大正琴の第一次ブームは去っても、戦時中も大正琴を弾き続け、戦後の大正琴第二次ブームに大きく尽力した人たちがいました。
吉岡錦正、鈴木琴城、昭和大衆歌謡の大御所、古賀政男の3人です。

「大正琴演奏の第一人者吉岡錦正」
6才の頃から大正琴演奏をし、より豊かな響きの演奏を追及して、9弦、12弦の大正琴を創作し独自の演奏の幅を広げていきました。これらの琴を「錦正琴」を名付けました。
昭和14年の出征以来、転戦した各戦地でも大正琴を奏で、戦場の兵士たちの慰めになったそうです。
吉岡は、その後無事帰還し、店頭演奏からラジオやテレビ、劇場へと演奏活動の場を広げていきました。
また、演歌、軍歌、当時のヒット曲、邦楽などを大正琴のためにアレンジしてレコード化し、大正琴の普及に積極的に努めました。

「大正琴演奏を一般市民へ 鈴木琴城」
琴城は、大正琴教室の開設を積極的に行いました。一般市民に向けて開かれた大正琴教室というスタイルが、大正琴再ブームへの大きな原動力となりました。
その一方で、基準形式の一つ5弦大正琴を考案、製造したり、大会場での演奏会を目的としたエレキ大正琴も開発しました。
大正琴のみによるアンサンブル演奏を可能にしたり、大規模で高度な演奏会を目指した改良、開発に大きな功績を残しています。ラジオやテレビ出演、大正琴教室と実践を通して積極的に広めました。

「大正琴を愛した古賀政男」
古賀も少年時代から大正琴に魅せられていました。自ら作曲した曲を自身が大正琴で演奏し再レコード化し、歌謡曲に取り入れられた大正琴の響きは改めて人々の新鮮な感覚を目覚めさせ、大ヒットしました。その後も、次々とレコードを発表し大正琴の大衆への普及に大きな貢献を果たしました。

第2次大正琴ブームと流派

昭和40年初期は、明治百年を迎える記念としてさまざまな音楽的イベントが企画され、それを機に音楽のリバイバル・ブームが起こっていました。そして、吉岡錦正、鈴木琴城、古賀政男によって継承されていた大正琴は、再びそのブームに乗ることになりました。この頃大正琴のレコードは、隠れたベスト・セラーだったようです。

こうして戦後の大正琴は再びブームとなりましたが、戦前と比べ大きく異なるのが「流派」の存在です。
戦前にも流派は存在していましたが、戦後再びブームがやってくると新しい流派が次々と誕生しました。
特に昭和50年代以降には急激に増加し、現在では50を超えると言われています。
各流派は、特定の楽器メーカーと提携して独自の大正琴を製造し、弟子に販売することで普及活動が進められ、今や愛好者は数百万人に上ると言われています。

昭和40年代の終わりから50年代にかけて、大正琴の世界は大きく変化します。
流派の普及活動は、大ホールにおける発表会で、その演奏にはエレキ大正琴と音域別大正琴の開発が必要となり、各メーカーは創意工夫を凝らした大正琴の製造に努めました。
大正琴は1人で引く楽器からグループで合奏を楽しめる楽器へと大きく変貌していき、今日に至ります。

平成23年、大正琴は誕生100周年を迎えました。
平成に入ると、電子大正琴が開発され、更なる進化を遂げています。

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